a dream




 薫は、人探しをしていた。
「ちょっとー、どこ行ったのー?」
 早朝の廊下に薫の声が響く。だが探す相手は現れない。
 家中を探して回る。歩みに合わせて床板がとんとんと音を立て、高めのポニーテールに結わえつけたリボンが揺れる。
 朝目を覚まして、制服に着替えて、それなりの朝ご飯をこしらえた時にはもう、姿が見えなくなっていた。いつもこの調子だ。ちょっと目を離すと、すぐにふらりとどこかへ行ってしまう。
「ねえ、アイツ見なかった?」
 薫は、同居人の少年に尋ねた。
「知るかよ、俺がそんなこと」
 素っ気ない返事が返ってくる。少年は、食べかけの朝食をかきこむと、慌しく家を飛び出していった。


 尋ね人は見つからぬまま、薫も登校の途につく。
 近所には、最近できたばかりの家がある。お屋敷というわけではないが、可愛らしい作りで、小さな花壇にはパンジーの花が植えられている。この真新しい家を眺めるのが、薫のここしばらくの楽しみだった。
 玄関が開き、家人が出てきた。人の良さそうなサラリーマン風の男性と、その妻。二人は新婚の夫婦だ。長い黒髪を銀のバレッタでまとめ、ひかえめにレースをあしらった白いエプロンを掛けた妻の清楚な立ち姿は、いかにも新妻らしい雰囲気だった。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 幸せを絵に描いたような情景。彼女は、曲がり角で夫の姿が見えなくなるまで、手を振り続けていた。


 しばらく歩いていると、先に家を出ていたはずの、同居人の少年の姿があった。同級生らしき少年とチャンバラごっこに興じている。
 ものさしが斬撃を加えれば、ひらりとかわしたリコーダーが突きを入れる。ものさしとリコーダーの、丁々発止の応酬。この息詰まる対戦は、
「あの……そろそろ行かないと、遅刻しちゃう……」
 その様をおろおろしながら見守っていた、大人しげな女子児童の一言によって没収試合となった。


 授業を終えた後、薫は剣道場に足を運んだ。剣道部が活動している最中である。
「先生!」
 顧問を務める教師に呼びかける。
「先生、アイツはこっちに来てますか?」
 Tシャツの下からでも隆々たる筋骨がその存在を主張する、見事な体躯を持つ男性教師が、薫に近づいてきた。
「いや。こっちにゃいねえな」
 答えて、ついでに文句も付け加える。
「まったくあの馬鹿、部活どころか授業までほっぽり出して、あっちへふらふら、こっちへふらふらと」
 彼の苦労が、薫には身に染みて分かる。分かりつつ、何とはなしにほほえましく感じてもいた。


 学校を出ると、巡邏中の警官の姿を見かけた。
 顔なじみなのか、数人の女生徒が気安げに挨拶している。その都度彼は、もともと細い目をさらに細めて、にこやかな笑顔で応対していた。
「いい人だよねー」
「でも、たまにちょっとおっかなくない? 目つきとか」
「元公安だとかって聞いたよ?」
「え、公安って何?」
 その警官の方を見ていると、不審に思われたのか、声をかけられた。
「何か、ご用でしょうか?」
 表情も物腰も柔和で、一見温和そうに見える。だが、その目の奥に宿る鋭い眼光は、隠しおおせるものではない。ひとたび彼女ら市民の身に事あらば、彼はためらいなく、その能う限りの力を行使するのだろう。
「いいえ、何でもありません。お仕事お疲れ様です!」
 女生徒達の朋輩になったつもりで、薫も、彼に親しげな言葉を送ってみた。


 薫の足はやがて近くの商店街に差し掛かる。
 その一角にある昔ながらの電器店では、ショーウィンドウを占領して、最新式の薄型テレビが鎮座していた。
 画面の中では、ワイドショーまがいの報道番組が、発足したばかりの新政権が早くも各方面からの批判にさらされていることを報じていた。重責と激務に追われ、それでもなお理知的な相貌をくずさぬ総理や、やつれ顔の官房長官が記者達に取り巻かれる姿が、次々と映し出される。
「なあなあ、このSPの人、めっちゃかっこよくない?」
 傍らを通りかかった三人組の少女達が、黄色い声をあげた。確かに、少女が指さした画面の中、何とも端正な顔立ちの警護員が、インタビューに応じる前総理の傍らに付き従っていた。
「でしょ!」
 少女達が振り返ると、長い三つ編みを背に垂らした女の子が、勝ち誇ったように胸を反らしていた。どうして彼女がこうも誇らしげであったのかは、薫にも、少女達にも、ついぞ分からなかった。


 次の話題は、とあるベンチャー企業を創業した、気鋭の若手社長についてだった。
 彼は、無一文から起こした会社をまたたく間に業界最大手にまで成長させ、次は政界進出を狙っているという。
 急成長の理由だの、社長と専務の確執だのが図を交えて説明された後、カメラが中継画面へと切り替わった。
 精悍な顔つきの青年が、側近らしき男性を従えてオフィスビルから出てきた。これが話題の若手社長なのだろう。途端に取材陣が殺到する。
「はぁい、どいてどいてー」
 その会社の女子社員だろうか、事務員が出てきて彼らをどかしにかかった。一見ごく普通のOLのようだが、見た目によらず膂力があるらしく、ゆく手をふさぐマスコミの群れを、またたく間に押しひしいでしまう。
 そこでカメラはスタジオに切り替わり、コメンテーターによる解説が始まった。
 「実力主義」「弱肉強食」「マキャベリズム」……そんな言葉が青年を語るキーワードとして彼らの口から並べられた。


 商店街を抜けると、小さな寺と、その敷地に設けられた保育園が目に入った。こぢんまりとした施設ながら、子供達のはしゃく声が絶えず、手入れの行き届いた花壇には、いつも折々の花が咲きあふれていた。
 道路に面したフェンスからは、園庭の様子がよく見えた。
 花壇では、作務衣を着た大柄な男性が、花の世話にいそしんでいる。寺の僧侶が園の職員を兼ねているのだろう。
 奥の方では、染めて逆立てた髪の、保父よりはロッカーをでも目指していそうな若者が、赤ん坊にじゃれつかれていた。どうやら、その奇抜な髪型が、赤ん坊の興味をてきめんにひきつけてしまったらしい。赤ん坊は楽しいおもちゃにご満悦な様子だが、若者の方はたまったものではなさそうだ。
「こらーっ!」
 突然の怒声に、花壇の手入れをしていた男性が背後を振り返る。
 幅広のヘアバンドの女性が、子供を叱りつけている。何やら悪さをしたいたずら坊主二人が、先生からお目玉をくったようだ。
 時刻はちょうど園児達が帰宅する頃合いである。
「園長先生、さようなら」
「さようなら。気をつけて」
 子供のかわいらしい声と花壇の男性とがそんな挨拶を交わしたかと思うと、一人の女性が門前に姿を現した。
 オフショルダーのカットソーに強調されたデコルテが、不躾も忘れて見とれてしまう程に美しいラインを描いている。まるで生活感というもののない絶世の美女ではあるが、この保育園の園児の母なのだろう。園の門から出てきた彼女の傍らを占めているのは、スモック姿の幼児である。
 可憐な、紺色の半ズボンに目がいかなければ女児と見間違えるような顔立ちの少年。女性としっかりと手をつなぎ、楽しそうに笑って、かけっこで勝った話などしている。
 男性の後ろで、新たな歓声が上がった。さっき叱られていた腕白共が、懲りずにまた新しいいたずらを思いついたらしい。そんな光景をひとしきり見遣ると、泥に汚れていない手の甲で汗の落ちかかった瞼を拭って、目を細めた。


 市内を流れる川の河川敷に、知り顔を見つけた。
「縁君」
 名を呼ばれた少年は、応えもしなければ、こちらを振り向きもしない。堤防の斜面に座り込み、どこへともなく視線を落としたままだ。それを気に留めることなく、少年の隣に腰を下ろした。
「まだ、ふて腐れてるの? 巴さんのことで」
 薫が口にしたのは、少年の姉の名だ。先日結婚したのだが、お姉ちゃん子だった少年は、姉の婚約を知ってからというもの拗ねるわ荒れるわで、手が付けられなかったものだ。
「……別に」
 長いの沈黙の末、それだけをぽつりと答えた。
 突然、上の方からむさくるしい喚声が聞こえてきた。見上げると、ステレオタイプに過ぎてフィクションの中にしか存在する気がしない、前時代的な不良学生の一群が、堤防の上の小道を疾走していくところだった。
 その先頭に立つ番長格が纏うは、話にしか聞かない「白ラン」なる改造学生服。その背中にはでかでかと「悪」の一文字が刺繍されている。傍目には無頼趣味にしか見えない一字を背負った彼は、鮮やかな夕陽をバックに、舎弟達を引き連れて駆け抜けていく。
 かと思えば、今度は下からどよめきが上がる。辺りを見回してみたところ、声の出所は橋の下らしい。そこを根城に暮らす人々が、これから晩餐の宴を開くようだ。
 貧しいながらも楽しい夕餉。ただ、その一団を目にした時、なぜか少年の視線が一瞬泳いだように、薫には見えた。
「分かってる。姉さんを困らせるなってんだろ」
 少年が、黒いくせっ毛を掻き遣って立ち上がった。
「俺だって、姉さんが幸せなのが一番だと思ってる」
 そのまま、彼の足は帰路を辿った。姉と義兄が待つ家へ。小さくも瀟洒に佇む、パンジーの花咲く家へ。
「ただいま」
 ドアが開いて閉まった。「おかえり」の声は聞こえなかったけれど、作りたての夕食のあたたかな匂いが、後に残った。


 結局尋ね人は見つからず仕舞いで、薫は家に帰ってきた。
「ただいまー」
 返事を期待することなく奥に進み、襖を開ける。
「あ」
 そこには、彼女が一日中探し回っていた相手が――その寝姿があった。
「もう、こんなところにいた」
 薫が探し回っていたことなど知らぬ顔で、実に平和そうに眠っている。
「おーい、起きろ」
 抑えた声音で呼びかける。
「ほら、起きて。ねえ、――」


「剣心!」
 薫の呼ぶ声で、剣心は目を覚ました。
 二、三回目をしばたたき、ゆっくりと覚醒してゆく思考で、ここが神谷道場であること、自分が道場の片隅で居眠りをしてしまったことを認識した。そして、自分を呼ぶ薫を。
「夢を、見ていた」
 薫に話しかけているとも独言ともつかぬ調子で、語り始める。
「遠い、百年以上も経った、未来の夢でござる。
 ずっとずっと先のこと、もう誰も戦うことなどない、平和で豊かな世の中で。拙者の知る人みな、穏やかな、笑顔に満ちた暮らしをおくっていて。
 そう、いつか薫殿が言っていたままに。剣が殺人のための術ではなく、道を説くものになっている――そんな夢を見ていたでござる」
 そこで一旦話を切った。一息二息程の間があり、それからまた言葉を継いだ。
「そして薫殿が、拙者を薫殿の知らぬ名で呼んでいた」
 ぽつりと呟いて、もう一度繰り返した。
「そんな、夢でござるよ」




 現代パラレル風です。オールキャラを目指しました。
 みんな2番目くらいに重要な何かが欠けるように、心がけたつもりです。






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