花は盛りに




 春咲く花は子供の頃から好きだった。
 花の中では、やはり桜が一等好きだ。梅やつつじも綺麗だし、道端に咲く小さな花もいい。花になど興味を示さぬ者も多いと聞かされた時には、大真面目に驚いたものだ。それを聞いた原田や藤堂の方でも、「花を、飲む口実以外の何かと考えている奴がいたのか!」と驚いていた。
 秋の紅葉の美しさを覚ったのは、あるいは上洛してからのことかもしれない。少なくとも、「春に桜を見るように、秋には紅葉を見なくては済まない」と思うようになったのは、京に来て最初の年のことだ。この考えは花以上に皆の賛同を得られなかったものだから、仕方なく一人で紅葉の美しい場所を散策していた。ねだれば興味のないことにも付き合ってくれる土方は、大抵仕事を抱えて忙しそうにしていた。
 桜が散るのも雪が解けるのも、惜しくてたまらない。だが紅葉は、散っても然程に惜しくはない。散った後の枯木立を愛でるようになったからだ。
「何て言うのかなぁ……うまく言えないけれど、これはこれで美しいなぁ、って思えるんです。
 年をとると好みが渋くなるっていうけれど、本当かもしれませんね」
 病床の人は、そんな懐旧譚を聞かせてくれた。
 そのやつれようは、正視に堪えない程だった。頬はこけて柔らかみを失い、桜色だった肌は、死骸のような土気色に変わっていた。聞くところでは、隊士として戦うどころか、立つことすらままならないという。京洛一と謳われた名剣士の姿は、見る影もない。
 美しい容色も、刀をとる力も剥ぎ取られた、かつての剣聖。
 そんな様を見ていられなくて、理由を見つけては目を逸らし、それが不自然であるような気がしてくると、また視線を据え直す。
 痛ましいと思えばこそと言い訳してみても、やはり不人情という感は拭えない。結局、申し訳なさと気まずさに耐えきれず、早々に病室を辞した。
 それ以来、冬の枯木立を見かけると、つい気に掛けてしまうようになった。自分はまだ、枯木の美しさなど分からないし、花も紅葉も散らなければいいと思う。




 おやつれになった沖田さんも、これはこれでお美しいよねー、というお話。え、違った?






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