Happy holidays!




 生き物を飼っていると、長期の留守をするたび一苦労である。
 それは、天下の特高警察といえども同じことで――。
「えええええ!? 無理無理無理! 無理ですけど?!」
 警視庁の別棟に、後藤の絶叫が響き渡る。
「あんなの、実家に連れてけませんよ! 大体汽車にも乗せられないでしょうし……」
 昭和八年、歳末。後藤たちは今、彼ら調査二係が飼っている奇獣を、年末年始に誰が世話するのか、という問題に直面していた。
 普段世話をしているのは後藤だが、彼は帰省する。奇獣などという珍妙奇天烈な代物を、家族や通行人の目に晒すわけにはいかないし、身の丈七尺ほどもある図体をしているから、こっそり隠して連れていくこともできない。そうした事情は、彼に水を向けた新潟も同じだ。
 どうしたものかと思案していると、傍らで、ぎっちらぎっちらと腰かけた椅子を傾けて遊んでいる同僚の姿が目に入った。
「そうだ、確か市村さんは年末年始も出勤するんですよね。だったら……」
「えー!」
 案の定、市村はその容色に不似合いな、子供じみた不満顔をつくった。
「いやですよー。飼育係はお藤さんなんですから、お藤さんがどうにかしてくださーい」
「えええー!」
 競うように、後藤の方も不平の声を上げる。
「そもそも、今までどうしてたんですか? あ、この前のお盆なら僕ももういましたけど……。
 って、あれ? そういえば市村さん、お盆も出勤してましたよね?」
「そりゃあだって、奇獣はみんな盆暮れ正月は寝て過ごしてくれるのかって、そうはいきませんからね」
 警邏担当である市村は休めない、というわけだ。
「じゃあ、お盆には、やっぱり市村さんが世話を?」
「いや、オレが連れて帰ってた。ちなみに帰省は諦めた。
 まあ、休めない人間に、便乗して仕事をおっかぶせるのも気が引けたからな」
「……なんかすみません」
 こうして、後藤が請け負う方向で趨勢が決しそうになった時――
「なら、オレがやろうか?」
 口を挟んだのは、彼らの上司の三条だった。
「えっ!? いやいやいやいや! さすがに三条さんに、そんなこと……」
「僕には押し付けようとしたくせにー」
「実際構わんぞ? オレも帰省するわけではないからな」
「で、でも……」
 当然ながら後藤も、帰省したいというのが本音だ。両親に元気な顔を見せてやりたいし、手紙では伝えきれない土産話もたくさんある。とはいえ、上官に生き物の世話係を肩代わりしてもらうというのは、やはり抵抗がある。
 ためらう後藤の傍らで、市村がため息をついた。
「はあ……。分かりました、僕が世話しておきます」
「え? 市村さん……?」
「いいですよ、お父さんにはお父さんの用事があるでしょうし、お盆の時は新潟さんにお願いしてたんですから、次は僕で。
 その代わり、次はぜーったい、お藤さんですから。ね、お父さん?」
「お父さんじゃない」
 ささやかな、けれど当人たちにとってはそれなりに切実な問題をめぐる一騒動。そんな年の瀬らしい一幕とともに、調査二係の一年は暮れてゆく。

   *   *   *

 ふと、作業の手を止めた。顔を上げると、窓越しに雪もよいの空が目に入った。
 歩み寄り、窓を開く。いつも四人で使っている別棟だが、今は市村一人だ。火の気はない。自分一人のために煖房を焚くのが煩わしかったからだ。寒いのは大嫌いだが、寒さへの耐性は並はずれて強い。
(まったく。新潟さんも、気を遣わなくたっていいのに)
 「休めない人間に……」とは言っていたが、彼が本当に気遣っていたのは、市村が休めないことではなく、休む理由がない、、、、、、、ことだ。普段子供っぽく振る舞っていても、そのくらいは分かっている。もちろん、後藤に何の悪気もないことも。
 やがて、綿のようにけぶった空から、雪がちらつき始めた。
 手のひらを差し出そうとして、やめた。手に触れるわずかな雪が溶け消えることさえ厭わしかった。こんな風に雪を愛でるようになったのは、三条と出会ってからだ。
 雪だけではない。刻々と移り変わる空の表情や、肌に触れる風の心地良さ、今は息を潜めている花の彩り……。この世のあらゆる喜びは、三条によって教えられ、与えられた。
 己に世界を与えた男性を、人は「父」と呼ぶ。ならば……
(ここがオレの、帰る場所なんですから)
 後藤も新潟も、今頃は故郷だろう。三条はどうしているだろうか。もしかしたら、彼も同じ空の下で、この雪を眺めているかもしれない。
 一番大切な場所で、誰よりも慕わしい人に思いを馳せるひととき。それは、休暇を取らない市村だけの、密かな特権だった。


<おまけ>
「今回は新潟がききみみ当番か。
 すまんな、帰省の機会をつぶしてしまって。弟妹も寂しがっているだろう」
「いえ。それに、オレが帰らないくらいでピーピー言うようなタマじゃないですから」
「新潟さん、よく言ってますものね。『奥羽の子供は強い』って」
「ああ。子供だけじゃない、みなそうだ。でなけりゃ、あの厳しい土地で生きていけんからな」

 ふと、そんな会話を思い出した。
 間違ってはいないはずだ。東北の人々は忍耐強く、たくましい。弟妹たちもそのご多分に漏れない強い子供だった。それに、自分が育て上げた子らだ。多少の困難などものともしない。自分が帰らなかったところで、どうということもあるまい。
 三条は少々危なっかしいが、市村がどうやってでも守るだろう。三条がいるうちは市村もきっと大丈夫だ。後藤も十分やっていけるはずだし、彼にはいざとなれば帰る故郷がある。
 そうして良い方に考えようとしているそばから、不安材料がのしかかってくる。戦争に取られていたら? 空襲に遭ったのでは? 食糧難は? ……敗戦後、彼らはどうなった?
「……会いたい」
 抑えていた本音が、つぶやきとなって漏れた。
 監視兵たちが食い散らかした七面鳥の骨が、小屋の裏に打ち捨てられていた。間もなく、東北のそれよりもはるかに厳しい、大陸の真冬がやって来る。




 6巻収録番外編の1コマから妄想したものです。おまけは7巻巻末ネタを少々。私にしては穏当な内容です(おまけ以外は)。
 本作は、2020年12月26に書き上げました。この時点でおまけはありませんでした。そして同28日の見直しの時に、おまけが追加されました。ええ、記録的寒波の日です。寒かったんです。






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