一冊の画帖




 ここに一冊の画帖がある。
 随分昔に自分が主から預かったものだ。もともとは沖田さんという人のものだったが、複雑な事情で主の手に渡り、今は自分の手許にある。
 初めから順に開いてみると、子供の落書きのような絵が目に入る。花の絵がある。その頃飼っていた豚の絵がある。自分を描いたらしい絵もある。こんな絵をわざわざ人から求めるとは思えないから、沖田さんが自分で描いたに違いない。
 沖田さんは、良く出来た人だった。剣の腕前は当時の京では知らぬ者の無いくらいで、その上子供の頃から教わったことは皆すぐに覚えてしまったらしい。炊事も掃除もこなしていたし、綺麗な声で歌っているのを聞いたこともある。何でも出来る人だと思っていたから、こんなまずい絵を描いたとは俄かには信じ難かった。
 無論わざと拙く描いたわけではあるまい。ただ、上手く描こうともしていなかったように思う。闊達に、気持ちの赴くままに、筆を走らせていたのだろう。
 しばらく頁を捲ると、少し調子の違う絵が出てくる。拙いことに変わりはないが、拙さの趣が違う。心のままに引かれていた線が、今は、少し進んでは止まり、止まっては向きを変え、萎靡逡巡しながら進む、といった具合だ。以前の奔放さが無くなって、迷いと躊躇いで歪にゆがんでいる。
 思うに、これは描く相手に似せようと努めて描いたものなのだろう。彼らを観察しては線の向きを直し、線同士の矛盾を見つけては無理にも辻褄を合わせ、どうにか絵と手本との隔たりを縮めようと格闘した結果が、この歪な線なのだろう。
 描いた対象は、専ら身近な人々だ。大口を開けた笑い顔、丸眼鏡の奥の穏やかな目、雀斑の散った鼻――彼らが何かしているところを横合いから写したらしい絵が、何枚も続く。一番多いのは、自分もよく知っている主の不機嫌顔だった。
 数頁の空白を残して、絵は途切れる。さらに捲ると、最後の頁には、沖田さんが療養に行った先から主に宛てた手紙の一葉が挟んである。
 それは、今まで描いてきた人達を、一枚の絵に纏めて描いたものである。その中では、丸眼鏡も雀斑も、皆笑っていた。主だけが不機嫌顔で、それでも心為か目元が優しいように感じた。相変わらず拙い絵だけれど、何も見ないで描いたから、さらさらと流れるような線だった。




 「ちょっと小ネタを思いついたから書いてみた」という感じの掌編です。何が言いたいのか分かりにくいかもしれません。
 ところでこの文章、一体誰が書いたのでしょう。作者である自分も、少々首をかしげます。






戻る

inserted by FC2 system