洛中洛外文奇譚




<花灯りの夜>
 ころころと下駄を鳴らして石畳の道を進む。
 街外れの夜更け、出歩いているのは沖田ただ一人だ。
 緩い石段交じりの坂を登ってゆく。坂道沿いの家々は、みな戸口に一輪の花を挿している。
(これは、どういう風習なんだろう……?)
 訪れ来た春を喜ぶ祝祭か。それとも道行く人へ向けた雅な善意だろうか。
 そんな取り止めのないことを考えながら歩を運ぶうち、随分高くまで登ってきた。振り返ると、坂の麓の方にいくつもの灯りが見える。それらは列を成し、道なりに曲線を成して連なっていた。
 花の家が戸口に灯りをともしたものか。そう考えたが、それにしては様子がおかしい。ふわりふわりと跳ねるように揺れ動き、次第にこちらに近づいてくる。
 きいん。
 硬い音が一帯に響いた。拍子木の音と理解するまでに数秒を要した。
 きいん、きいん。
 音の源が近づいた。
 それ、、を避けなければならない。そう直感したが、足が凍り付いたように動かない。
 その時、何者かが後ろから襟首を掴んだ。そのまま脇の路地に引き込まれる。あっと思った瞬間、提灯と羽織袴が視界に入った。それを先頭に、行列が延々続く。みな揃いの黒紋付きを着て、手に手に提灯を持っていた。その中にただ一人、白無垢の花嫁衣装に身を包み、綿帽子の奥に面を伏せた娘の姿があった他は。
 一団は沖田の眼前を過り、最前まで沖田がいた石畳の坂道を踏んで、何方かへ消えていった。
 身体を拘束していた力が緩んだ。振り返ると、そこには見慣れた朋輩の姿があった。
「斉藤さん」
 いらえを返すことなく、彼は沖田を解放した。
「気をつけられよ。気をしっかり持たねば、連れて行かれる」
 腑に落ちぬ顔の沖田に、斉藤は、沖田が見たものの正体を教えてやった。
「あれは、狐火だ」
「狐火……?」
「嫁ぐ日を前にして死んだ娘を憐れんだ狐が、嫁入り行列を拵えてやったものだ。
 娘の無念が強ければ、狐を従えるだけでは済まず、時に周りにいる人間を巻き込むこともある」
 話を聞いた沖田が、案の定表情を曇らせる。
「そう、なんですか。亡くなった娘さんの……」
「娘の思いに感情移入するような者ならば、猶更だ」
 睫毛を伏せた沖田に、講釈がてら釘を刺した。
 坂の家の戸口に挿した花は、娘に捧げるものなのではないか。沖田はふとそんなことを考えた。寿ぎか、手向けか、それは分からないけれど。
 もう一度、遠くから拍子木の音が鳴った。
 こぉ……ん。


<はなしづめ>
 桜は疾うに散り果てた。
 足下に広がる水面には、無数の薄紅色の切片が浮いている。
 お囃子の音が聞こえる。ぴいぴい、ひょうひょう。
 音の鳴る方では、真紅の装束に身を包んだ若者達が、跳ねつ踊りつ大路を練り歩いているのだろう。
 彼らが演じるのは赤衣の鬼。桜の散る頃、花の精にあおられた疫神が跋扈する。それを鎮めるため、鬼が現れ乱舞するのだ。
「このお祭りでは、鬼が主役なんですね」
 かつてそんな素朴な驚きを口にしたことがある。すると、思わぬ問いが返ってきた。
「どうして節分の鬼が、豆をまいて追い払われるか、知っているかい?」
 黙って首を振ると、相手は静かに続けた。
「鬼は、人間の身代わりとなって厄災を引き受けてくれるんだ。そして人間は、鬼もろともに厄災を払い除く。
 この祭りの鬼も、きっとそれと似たような存在なんだろうね。
 こうした存在は他にもある。桃の節句の雛人形がそうだ。あれは元来、人の厄災を移して川へ流す人形だ。
 今じゃ華やかな婚礼の再現、というか、十二単の印象しかないけれどね」
 淀みに薄紅色の切片が浮いている。
 まるで花筏のように水面をうずめるそれは、祭りの紙雛だ。鬼と同じに、紅の晴れ着に身を包み、人の厄災を担って水に流される。そのくせ人の形を模している。
 緩い流れに従ってゆっくりと揺蕩う。そして、濁った水の下には、恐らくそれとは比すべくもない数の雛の骸が沈んでいる。
 咳が出た。唯の空咳で、口許から離した袖はまだ白いままだ。
 桜の花は散った。桃はいまだ盛りだ。
 鬼と雛の由緒を聞かせてくれた人が逝って、二十日許りが過ぎた。


<宴果つ>
 島原角屋で開かれていた、新撰組幹部・隊士が一堂に会しての饗宴は、盛況のうちに進行し、つつがなく散会のはこびとなった。
 解散を告げられた隊士達が席を立つ。屯所への帰途に就く者、そのまま遊里に繰り出す者。三々五々夜の街に散っていく。
 人気の絶えた広間に、沖田一人が端坐していた。
 喧噪が過ぎた宴の間は静まり返り、灯りをいくつか落としたことを差し引いても、常の部屋より薄暗いように感じる。見回せば、壁も扁額も黒く煤けている。宴のたびに沢山蝋燭を灯すせいだと、以前仲居が教えてくれた。
「ここにはな、魍魎が棲んでおるのよ」
 故人の言葉を思い出す。彼に連れられて初めてこの間を訪れた時、囁きかけるように告げられた言葉だ。だから良いのだと、彼は続けた。その意味が、今なら少し分かるような気がする。
 魍魎達がやって来る。群れて集って宴を開く。
 酒気や駆け引きの言葉とともに、彼らは闇を吐く。欲望、野心、陰謀――部屋の外ではそんな呼称が与えられている闇を。壁に額に、部屋の至る所に闇が溜まっていく。
 堆積した闇はさらに彼らを引き寄せる。そして彼らはこの暗い部屋を棲み処とする。それがどうしてなのかは、沖田にも確とは分からない。ただ、魍魎とはこうした闇の中でしか生きられぬものなのだろうとは、漠然と感じていた。
 この間を好んだ故人も、魍魎の一人であったのだろう。沖田は思量する。その魍魎を屠り去った己も、また。




 ただの作者の京都観光レポじゃねーか、とは言ってはいけない。本当のことだから。
 京都の行事をモデルにしてはいますが、10年ちょっと前から始まったイベントが出てきたり、曰く因縁をでっち上げたりしているので、決して真に受けてはいけません。






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