掌編集 4




 その墓場には、狐火が出る。
 そんな噂を耳にして、青年は問題の墓地を訪れた。
 狐火の正体には心当たりがあった。さほど大きくない墓地に並ぶ墓石の銘に、一つ一つ目を通していく。程なくして、目当ての墓が――彼も知る人物の名が刻まれた墓が見つかった。
 妻子はなく、親兄弟からもとうに忘れられていた男の墓は、それでもいまだ隅々まで丁寧に磨かれ、季節の花と供物が手向けられていた。
(もう、こごみの季節か……)
 遠くで、狐の鳴く声が聞こえた気がした。


「あー。だーめーでーすーよーそんなことしちゃー」
 やけに間延びした声で咎められた。相手は、二、三間離れたところにしゃがんで、頬杖を突くような仕草で私を見つめている。
 この状況にはあまりに不似合いな呑気さだ。私は今、自分の左手首に剃刀を当てているというのに。
「なによ、あなたも『生きてさえいればきっと良い事があるよ』なんて、無責任を言うつもり?」
 返事も聞かず、剃刀を握った右手に力を込めた。これで全て終わる――
「もー、つれないなぁ」
と思いきや、いつの間にか剃刀は取り上げられていた。
「……え?」
「いーじゃないですかぁ、ちょっと話聞くくらいー。
 で、あなたの質問の答えですけどね、そんなことを言うつもりはありませんよ。
 僕が言いたいのは、『そんなやり方じゃ死ねませんよ』っていうことです。尺骨動脈や橈骨動脈を横切りして放置したくらいじゃ、たいてい失血死する前に血が止まりますから」
 物騒なことを言いながらも語調はあくまで穏やかで、顔には笑みさえ浮かべている。それがかえって薄気味悪い。
「それに、一度死んだらもう生き返れませんから、決断は慎重に下した方がいいですね」
「ほらやっぱり、要は『死ぬな』って言いたいんでしょ? 親兄弟皆殺しにされて、全財産焼けちゃって、子供一人でどうやって生きてけって言うのよ?」
「ああいえいえ。あくまで慎重に、ってだけですから。……そうですね、例えば、一ヶ月僕たちのところで過ごしてみるっていうのはどうです? それでゆっくり考えてみて、それでも結論が変わらなければ……」
 ヘラヘラした笑顔は変わらない。だがその目が、一瞬獣のそれのように鋭く光った。
「僕が責任を持って、確実にかつ苦しまないように、あなたを殺してあげますよ?」
 指が優しく首筋に触れた。その時確かに、自分の命が他人に掴まれていることを感じていた。


「それは多くの人々にとって、むしろ忘れたい過去であるはずだ。それでもか?」
「お前こそ。この食うにも困るご時世に、子供の道楽か?」
 薄暗いバーの片隅で、editorとreporterは、まるで乾杯の合図のように声を揃えた。
「だからこそ」


 ――学校法人治恵学園は、昭和20年(1945)、創立者が戦災で親を亡くした孤児たちを養育する児童養護施設を開設したところからスタートしました。本学ではこの建学の精神を今に伝え、現在でも成績優秀ながら経済的に困難を抱える生徒を支援するため、特別奨学制度を設け……
「あー、もしかして、ウチに寮があるのって、元はそういうことだったんですか。遠方の生徒のためとしか思ってませんでしたよ」
「もう内部でもあまり知られていないがな。まあ、そんなルーツをいちいちパンフレットに記載することが、広報としてプラスになるのかどうかも分からん」
 いわゆる名門校へ我が子をやりたがる親の中には、たとえ「恵まれない子供たち」への慈善活動に積極的に協賛していてさえ、子が彼らと等し並みに扱われることに嫌悪を示す者もいる。
「ふうん。でも、いいことだと思うんですけどね。孤児の子を助けていたんでしょう?」
「否定はしない。だが、創立者のやり方は、あまりに理想主義的だった」
 あまりに多くを救おうとするその方針は、携わる者の献身なくしては成り立たないものだった。結局、自分も含めた一部教職員の反発に遭い、創立者は引退に追い込まれた。
 ――あなたは、あなたたち、、と同じ自己犠牲を、他の教職員に強いるのですか?
 そう問うと、それきり彼は何も言わなくなった。
 自分の取った行動に悔いはない。時代遅れの無茶をいつまでも続けるわけにはいかなかった。だが――
(それでも私は、あの人が好きだった)
 時折、恋しく思い出す。今も、部下であった頃も、子供の頃も、ずっと変わらず慕い続けてきた、恩師の面影を。


 初めに渾沌があった。
 ある日、この体に四つのあなが穿たれた。一つは視覚、一つは聴覚、一つは嗅覚、一つは味覚。
 その瞬間、天地が分かれ、陸と海ができた。
 陸と海に命が芽生えると、私の体は少しずつちぎれていった。私の欠片は、あるものは山に登ってけだものとなり、あるものは水に潜ってうろくずとなった。残った体には空を翔ける翼を生やし、姿形をその頃最も遅れて生まれたけだものに似せた。
 大きな陸の真ん中に、私の欠片が棲んでいた。それは視覚も聴覚も持たず、まるでかつての私のようであったので、東の者は私と欠片を同じ名で呼んだ。
 私に似た欠片ほど、私に従順だ。それは私が二つに割れた後でも変わらない。
「おいで、こんとん」




 今回は、一つ目だけはかなり穏当ですが、後へ行くほど妄想たっぷりの妙ちきりんなものになっていきます。私が他でまず書かないタイプの市村さんとか、似非昭和初期風とか、似非パンフレット風とか、似非神話とか。






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