掌編集 5




 それは、不思議な絵だった。
 ショーウィンドウの中に掛けられているのは、一点の油絵――複製画である。
 描かれているのは五人の裸婦。それ自体は珍しいモチーフではない。だが、彼女たちの体は奇妙に歪められ、就中右下の一人の顔は、まるで福笑いのように目鼻がちぐはぐに配されている。
「外国には、こんな女の人がいるの?」
 そう父に尋ねた。自分程の歳の子供がするには馬鹿げた問いだろう。だが父は笑って答えてくれた。
「ああ、あれは、絵描きさんがああいう風に形を変えて描いているんだよ。今はカメラがあるのに、見た目そのまんまの絵を描いても、面白くないからね。
 だから、外国にああいう見た目の人がいるわけじゃないんだ」
「ふうん」
 否と返ってくることが分かっていながら尋ねたのには、理由があった。一つには、その絵の不思議に打たれたから。そして、もう一つには――
(あんな猫なら、見たことあるんだけど)


 生家は子沢山で、自分は九人兄弟の長子であった。
 両親は野良仕事で忙しくしていたし、さして裕福というわけでもなかったから、弟妹の面倒を見るのは自分の仕事だった。
 とかく子供というのは目が離せない。時には、彼ら全員をまとめて相手にしなければならないこともある。
 一人の勉強を見てやり、
 一人の食事の世話をし、
 一人が他の子をぶったのを叱り、
 一人が泣き出したのをなだめ、
 一人の手伝いをした子を褒め、
 一人のままごとにつきあい、
 一人のお喋りの相手をし、
 一人に昔話を語って聞かせ、
 一人を寝かしつける。
 そんなことは、別段どうということもない。


「いい? 私はこれからお勤めだけど、その間は隅っこに隠れててね。
 それから、絶対、ぜーったい、しゃべっちゃ駄目。分かった?」
『どうして?』
「どうしてって……」
『どうして? どうして?』
『あーあ、お勤めなんて嫌だなあ。どうしてこんなのあるんだろ?』
「そうやって、私が何考えてるかお客さんに知れたらいけないの。
 だから、しゃべっちゃ駄目」
『どうして?』
『どうして、嫌なのに、嫌って言っちゃいけないの?』
「そ、それは……」
『嫌なのに、こんなに嫌なのに』
『ねえ……どうして?』
「ごめん……私にも分からないよ……」


 こんな夢を見た。
 自分は、橋の上を歩いていた。ただ板切れを渡しただけの粗末な橋で、その板の下には潺々と水が流れている。流れているといっても、ただ真黒な中に、所々細波が月の光を弾くのが白く見えるばかりだ。
 自分の向かう先に、女が立っていた。
「旦那様、経典をご存知ありませぬか?」
 自分は知らないと答えた。そして、警察に奉職している身であるから探すのに助力すると付け加えた。だが女は、「ああ、どこへ行ってしまったのか」と声を上げるなり、橋を下り、高価たかそうな着物が濡れるのも構わず水に入っていった。
 危なかろうと後を追うが、既に女の背は遠くなっていた。自分と女の間には、波に切り刻まれた月がゆらゆらと横たわっていた。水は相変わらず墨のように黒い。
 辺りには杜若が咲いていた。光の加減か、その花弁が燦爛と輝き、一面に銀白の光を鏤めている。叢はどこまでも続いていた。
 女の背は一向近づいてこない。見失わぬよう目を凝らしながら、杜若の群を掻き分け、足首で水を切り、懸命に前に進む。
 水は足をつらまえ、温みを奪っていく。だんだん草臥れて体に力が入らなくなってきた。前を行く女を見つめているのさえ、億劫になった。しっかりしろ、自分は警官だと、幾度も己に言い聞かせた。
 ふと、自分の足元に照る月が、ぼんやりと輪郭を喪いつつあるのに気づいた。あれだけ黒々としていた水が、漸く曙の色に変わろうとしていた。顔を上げると、女はもう見えなくなっていた。

 目が覚めると、枕元に古びた蒔絵の箱があった。
 遺失物として警察に届け出たが、持ち主はいまだに名乗り出ていない。


<おまけ>
「ごめんね。さっきのは無し。
 知られちゃいけないのは私だもの。あなたたちを巻き込んじゃいけないよね」
 見世に出ていると、彼らのうちの一匹が、ふわふわと浮かんでいるのが目に入った。
 それを目で追う。風に乗っているのか、そのまま窓の格子を通り抜けて表へ出ていき、やがて客を引いている女将の肩に止まった。
「あらぁ、お客様くらいの方ともなれば、やっぱりそれなりのを選ばれませんとぉ……」
「ほほう、それなら……」
『いいカモだね。こういう手合いは、見栄でじゃぶじゃぶお金を使ってくれるから』
「な、何だとぉ! もういっぺん言ってみろ!」
「ええっ!? ち、違いますお客様、今のは私じゃなくて……」
『鴨葱、金づる、一稼ぎ』
「てめえ!」
 表の騒ぎは、自分のところにまで聞こえていた。
「あー……。これじゃ、今日はお客さん、来ないよね。
 ……いいのかな?」
『ま、お休みになったんなら、いっか』




 夜叉の面子+奇獣一種、という取り合わせとなっております。前回に比べると、比較的方向性は穏当かと。
 ネタにした奇獣は基本的に『鬼を飼う』に出てきたものですが、二つ目のは名前が出されたのみで、本人(?)が登場していたわけではありません。
 ちなみに一つ目のは、年代がおかしいです。うーん、誤差二、三年なんだけどなあ。まあ、「アヴィニョンの娘たち」って明言しているわけじゃないから、ぎりセーフ?






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