※モブ×沖田で、いわゆる女性向け要素があります。ご注意下さい。





 彼には、密かな楽しみがあった。
 道場に出ると、時折隊士達に稽古をつける沖田総司の姿を目にすることがある。それを見ることが、人には言えない彼の楽しみであった。
 折しもある一団が稽古を終えたところである。沖田は行き過ぎる隊士達にねぎらいの言葉をかけ、たおやかに微笑んでいた。その、完璧に配された目鼻立ちに見とれた。青みの照りをもつ髪に見とれた。
「何見とれてんだよ」
 突然声を掛けられた。「見ている」のではなく「見とれている」のだと洞察されている。当然、何に見とれていたかなど、すっかりお見通しだろう。観念するより他はない。
「……綺麗だなァ、って」
 秘密の愉悦を知られたことを恥じらいながら、ありのままを答えた。対象を明言する代わりに、視線で沖田を示しながら。
「ああ、あの人ぁ確かに別嬪だ。……そうだな、美しい」
 思いがけず共感を示され、安堵する。どうやら、この声を掛けてきた男も自分に負けず劣らず、沖田に魅了されているらしい、と。
「手がなァ、好いんだよな」
「手、ですか」
 その発言で、出来かけていた連帯感が早速揺らいだ。だが、妙なことを言う人だとは思うものの、そう言われると気にかかってもくる。視線がちらちらと手許へ行く。その様子に気づいた男が耳打ちした。
「あの人の手にゃあな、傷痕があるんだ」
 まるで自分だけが知っている秘め事を、気に入りの者に限ってこっそり教えてやるとでもいうような調子だ。
「傷?」
 次の稽古が始まった。勉強のためにと、自分の番が終わっても居残って稽古を見学している者が、しばしばいる。彼らに紛れて道場に残り、沖田を観察した。
「右だ」
 彼が気にしていることを察したのか、男は問題の傷痕がある方を教えた。
 教えられた通りを目で追ってみると、確かに、沖田の手には傷痕がある。右手の甲に、畝のように盛り上がった五本の筋が走っている。
「そそらねえか?」
 いかがわしげな質問がこれまたいきなり飛んできた。あからさまに動揺してしまう。
「いや、そそるって、そんな……」
「例えばだ、あの傷痕がついたのはどうしてか、ということについて」
 なるほどそそるのは知的好奇心であってもよかろう。一頻り恥じて、その後でどうせ態となのだからこちらに非はあるまいと開き直った。
「どうしてって……ええと、敵と戦っていて傷をつけられた、とか?」
「まあ、死に際の人間は辺りかまわず掻き毟って、石でも何でも削り取るっていうからな」
 言われてみれば、死にゆく人間の無念がその傷にこめられているような気がしてきた。
「じゃあつまり、沖田さんに殺された敵が死に際につけた傷、ってことですか?」
「んな訳ゃねえ」
「何ですかそれは」
 男は、自分の発言から導出されて然るべき解答を、いともあっさりと否定した。
「あの人が、敵さんに傷なんざつけられると思うかい?」
「あ……確かに」
 言われてみればその通り、確かに、沖田は敵に、爪先一厘を掠らせることすら許さないだろう。実のところ池田屋事件という例外はあるのだが、男はそのことには触れず、彼はそれで納得していた。
「じゃあ、なんで……」
「お前、新米だったな?」
 唐突に話柄が自分に向き、要領を得ないながらも肯んじた。
「なら知らねえな。あの傷は、山南さんが死んだ日についたもんだ」
 ここでまた、予期せぬ名が挙げられた。
 だが、その名を知らぬはずがない。山南――山南敬助は、脱走を図って失敗し、沖田の介錯で切腹したという。新選組の内外を問わず知れ渡っている、有名な事件だ。
「あ、つまり、あの傷は、介錯の時に山南さんがつけたっていう……」
「それも違うな。あの人は絶対に仕損じたりしねえ」
 これもまた否定して、ついでに「あの人ぁ山南さんが好きだったからな。なおさらだ」と付け加えた。
 そんな遣り取りを繰り返す内に、沖田の手を堂々と凝視できる恰好の口実を思いついた。彼は、沖田の前に進み出て言った。
「すみません。なんか俺、握りがおかしいみたいで。ちょっと手元を見せてもらえますか?」
 沖田は、何疑うことなく諾と答え、快く手本を示してくれた。
「えーっと、こんな感じで……」
 不審がられないよう、手本を真似る態をつくる。
「そうですね、もう少し」
 不意に沖田の手が竹刀から解ける。
「こう」
 彼の手に、沖田の手が重ねられた。
 思いがけない僥倖。竹刀を握りしめる手に、指が、掌が触れる。
 引き締まって硬い。手に触れる肌の感触も、そして見た目も。すべらかで見るからにやわらかそうな肌理をもつ頬、優美な曲線を描く首筋や肩とは対照的だ。
 右手を巨細に観察する。手の甲いっぱいに、この手を潰さんとばかりに肉を抉った痕が残る。まるで皮膚をもたげて虫が這っているような、五本の傷痕。美しいこの人の体の中で、そこだけが唯一醜い。
「その手の傷……」
 思い切って、何気ない風を装いつつ切り出した。右手の甲を視線で指す。
「やっぱり、名誉の負傷なんですか?」
 一瞬、沖田が目を見開いた気がした。けれど次の瞬間にはもう、いつものほがらかな顔に戻っていた。表情を変えたように見えたのは気のせいだ。誰しもにそう思わせる、一点非の打ち所のない笑顔に。
 だが、その瞬間の変容が、沖田の闇を晒した。そうまでして隠さねばならない何かを、沖田は抱えている。
 硬い掌、醜い手の甲、その皮の下一分のところにわだかまる闇。それらが、弾指の間に絡まり合い、漠たる解を結んだ。
「やだなぁ、そんな大したものじゃないですって」
 完璧な笑顔で、沖田はそう答えた。
「本当は?」
 謙遜に対する否定ともとれる問い。だが、そんな解釈を許さない、糺問の意思をこめた口調だ。笑顔がわずかに解ける。
「そんな、綺麗なものではありませんよ」
 細められていた目が少し開き、沖田の瞳の色が覗いた。かの右手に詰まっている闇も、同じ色をしているのだろう。今この人は、一体どんな気持ちで、それを押し込めひた隠しているのだろうか。
 暴きたくなる。傷の理由やそれにまつわる秘密そのものではなく、それがまさに暴かれようとする時の、沖田の心を。
 結局それ以上に食い下がることはせず、男の許に戻った。男は、ねぎらいの言葉とともに彼を迎えた。そして
「そそるだろう?」
 今度は互いに確信をもって問い、そして頷いた。相手も間違いなく自分と同じ、酷薄な情欲をいだいているという確信を。


<おまけ>
 沖田総司は、彼の憧れの人だった。
 美しい人だった。だがそれ故に憧れたのではない。彼はむしろ、沖田の体の中では比較的美しさを欠く右手を愛していた。剣士として働く沖田は、手を、特に右手を酷使している。当然、美しくやわらかなままというわけにはいかなくなる。線がけわしくて硬い。そんな沖田の右手が好きだった。
 ある日、屯所の門の脇に沖田の姿を見つけた。そこに設けられている小窓越しに、誰かと話をしているらしい。「返して」という女の声が聞こえた。見てはいけないものを見た気がして、その間ずっと物陰に身を潜めていた。
 程無く沖田はそこを立ち去った。彼の前を通り抜ける瞬間、沖田の右手の甲から血が流れているのが見えた。後になって、「返して」という女の言葉を理解した。彼女が何故に沖田の右手を憎んだのかも。
 山南敬助の切腹が公表され、屯所の内の悉くが暗澹としていた日のことだった。




 多分これ、読んでて気持ち悪いんだろうなぁ……としかコメントのしようがない代物です。ある種のモブ姦?






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