※一部に史実と齟齬をきたす内容がございます。ご容赦下さいませ。



特別な日




 その日は、よく晴れていて、時季の割には暖かな日だった。
「サイゾー、おやつですよ。お昼前ですけど、分けっこして食べましょう」
 新撰組屯所に、沖田総司の朗らかな声が響いた。
 仔豚のサイゾーを呼び寄せると、沖田はその前に団子を乗せた皿を置いた。
 団子は五つ。沖田が一本目を食べ終え、二本目を食べかけた時、サイゾーは既に皿に盛られた団子を平らげてしまっていた。しかも、半分以上を食べてなお、沖田の手の中の団子が気になるらしく、頻りに鼻をひくひくさせ、そちらをうかがっている。
「いいんですよサイゾー。お腹いっぱいになるまで、たくさん食べて下さい」
 食べかけの団子を差し出し、にっこりと笑う。
「今日は、特別な日ですから」


 この日、新撰組は普段に増して慌ただしかった。
 そんな中沖田は、昼前には早々に自分のなすべき仕事を片付けてしまっていた。その後は豚小屋に入り浸って豚達とじゃれていたかと思えば、午後にはふらりと表に出掛けていった。サイゾーを連れ出し、両の手に、ありったけの玩具おもちゃの入った風呂敷包みを提げて。
 やって来たのは壬生寺である。沖田はここで、以前よく一緒に遊んでいた八木為三郎と待ち合わせをしていた。為三郎は既に境内にいて、沖田が来るのを待っていた。
「為くん!」
 為三郎の姿を見つけると、沖田は大きく手を振った。それに気付いた為三郎も、ぺこりと一礼する。
「お久しぶりです。しばらく見ない間に、随分大きくなって」
 久しぶりに会う子供に対し、大人達が一様に抱く感想だ。
「沖田はんは、小さなった」
「それは、あなたが大きくなったから」
 そう言う沖田の眼差しは、為三郎の記憶に違わず優しい。けれど一瞬、沖田の顔に困ったふうな表情が浮かんだように、為三郎には見えた。
 新撰組が屯所を壬生から西本願寺に移して以来、およそ三年ぶりの再会であった。


 再会の挨拶が済んだところで、沖田は為三郎を御堂の濡れ縁に誘った。為三郎が座ると、少し間をあけて沖田も腰掛けた。腰を落ち着けるや否や、道中買い求めた金平糖の包みを開き、為三郎にもすすめた。
 濡れ縁からは、境内の様子が見渡せる。
「変わらないなぁ、ここからの眺めは」
 鬼ごっこをしている幼子達。鞠つきの回数を競っている少女。棒きれでチャンバラに興じる少年。みな無心に遊び、はしゃぎ、笑い合っている。三年前、ここがまだ沖田の遊び場であった頃と同じように。違っているのは、遊びに来る子供達の顔ぶれが、すっかり入れ替わってしまっていることくらいである。
「喜いちゃんや留くんは、もうあんまりここには来ないんですか?」
 それに気づいていた沖田は、為三郎と特に仲の良かった子供達の名を挙げ、彼らの近況を尋ねた。
「せやなぁ。もうみんな、鬼ごっことかせえへんし、僕も勉強とかあるし」
「そっか……そうですよね」
 子供が遊び場を変えるのに、三年は十分過ぎる歳月だ。
 大人にとってはついこの間の出来事であっても、子供にしてみれば、いつの話かと言いたくなるような過去だということが、往々にしてある。その隔たりは、大人の慌ただしさ故か、それとも子供の目まぐるしいまでの成長故か。
「かるたと竹とんぼ。前に二人がいいなあって言ってたんだけど……欲しいものも、きっと変わっちゃってるかな?」
 ほんの少し淋しそうに、沖田が一人ごちた。
「為三郎君。今よくここに遊びに来ている子達の中に、あなたと知り合いの子はいますか?」
 境内の子供達を見遣ったまま、沖田が問う。その意図をはかれぬまま、為三郎はうなずいた。
「前までよぉ一緒に遊んどった子もおるから」
「そうですか。では一つ、お願いがあります」
 沖田の両手が、提げてきた風呂敷包みの結び目を解いた。その中身――沖田の玩具全てが、はらりと落ちた布の上に小山をつくっている。
「これを、その子達にあげて下さい。できれば、大事にしてくれそうな子に。
 私からだと『知らない人から物をもらっちゃいけません!』って、叱られてしまうでしょうから」
 そう言って、どんなものがあるかを見せるため、玩具を収めている袋や箱をほどいていった。
 玩具が姿を現すにつれ、為三郎の表情が張り詰めていった。「なぜ」とでも言いたげに、沖田を見上げる。
「でも、沖田はん、これ……」
 風呂敷の上の玩具がどんなものであるか、為三郎は知っていた。
 沖田が、子供以上に夢中になって遊んでいたお手玉。店先で見つけて「綺麗!」と感嘆の声をあげた手鞠。いとおしそうに手のひらの上にのせて愛でていた、ちりめん細工の動物達。沖田は玩具に飽きるような性分にはできていない。差し出された玩具は、どれもこれも、沖田にとって到底手放すことなどできない宝物であるはずだ。
「いいんです」
 為三郎の動揺を察した沖田は、静かに微笑みかけた。
「誰か、大切にしてくれる人に、もらってほしいんです」
 笑顔でそう言われたところで、納得できるわけがない。沖田も言いくるめられるとは思っていないだろう。それでも為三郎は、沖田の依頼を拒めない。
 とにもかくにも自分の頼み事を引き受けさせてしまうと、沖田はあっさり帰っていった。「また明日」と言って別れていた頃と変わらず、にっこり笑って、手を振って。
 傍らに残された、子供の玩具――沖田の宝物。それを処分せざるを得ない何かが、沖田の身に起こっている。
 為三郎は既に、その何かを推量できぬ程、無知ではなかった。


 師走もおよそ半ばを迎え、年の瀬を控えて、街路を行く人々の足もどこか気忙しい。みな沖田の脇をすり抜け、足早に追いぬいていく。彼らの話題は、今日明日の気候、近来の物価高、そして近々起こるという戦への不安。
 そんな中、沖田は一人、京の町中を緩やかな歩調で歩いていた。
「今日は一日、具合が良くてほんとによかった」
 この日の沖田は、ここ一、二ヶ月としてはいつになく体調が良かった。珍しく、主治医の山崎や南部医師から外出の許可が出た程に。
 彼らは、どうしても今日外出したいという沖田に、嘆息しながら言った。
 ――今日だけ、特別ですよ。
「もう今日しかなかったし、歩きまわれなければどうしようもないですし」
 空になった両手の感触を、少しだけ名残惜しげに確かめ、
「持っていくわけには、いきませんでしたから」
 誰にともなく、先刻為三郎に向けたと同じ笑顔をつくった。
 商店が並ぶ通りに差し掛かると、おいしそうな匂いが流れてくる。
 時分は夕刻。家路につく人々を当て込んで、手軽に持ち帰れる食べ物をいろいろと売っていた。
「サイゾー、何か食べたいものはありますか?」
 足許の仔豚を振り返り、問いかけた。
「今日は特別に、何でも買ってあげますよ」
 それを聞いた途端、仔豚は目を輝かせて、自分好みの匂いのする方へと突進していった。
 帰りついた頃には、日はすっかり暮れ、庭も建物も紺色の薄闇にとっぷりと浸かっていた。
 屯所内は未だ慌ただしかったが、沖田の仕事は無い。一月近く病臥して隊務を離れていた沖田の指示を、最早隊は必要としていなかった。手伝えることさえ、何も見当たらなかった。
 サイゾーを私室に入れ、買ってきた蒸し饅頭を開いた。待ちかねたようにサイゾーがむしゃぶりつく。
 沖田は手をつけようとしない。流石に昼間の疲れが出てきたのか、熱が上がりはじめている。
 冷えた手の甲を額に当て、目を瞑った。傍らでは、サイゾーが一心不乱に饅頭を貪っている。
「おいしいですか?」
 語りかけ、おやつに夢中になっているその背中を、ゆっくりと撫でてやる。すると食べるのをやめ、沖田の膝に体をすり寄せてきた。うれしそうに、幸せそうに、もっと撫でてくれとねだるように。
 思わず、その小さな体を抱きしめた。
「ごめんなさい」
 口をついたのは、許しを乞う言葉。
「私達はあなた達を置いていくけれど、あなた達のことは、南部先生にお願いしておいたから。きっと大丈夫だから。
 だから、これからも、おいしいものをたくさん食べて、どうか元気でいて下さい」
 彼らを取り巻く人の世の事情など、サイゾーには分からない。分かったところで何ができるでもない。それでも彼は、沖田の腕の中で、じっと耳をそばだてていた。


 翌慶応三年十二月十四日、新撰組、京都退去。
 旧時代の全てを淘汰する戊辰の戦が始まる、半月前のことである。


<おまけ1>
 ここ数日、世間話の種といえば、伏見の戦で徳川の軍が敗れたという話で持ち切りであった。
 街頭で求めたかわら版には、戦で命を落とした者の名が記されていた。その中に、沖田総司の名は無かったが、代わりに他の覚えのある名がいくつかあった。
 気の進まぬ書見を止め、かわら版に目を落とした。やはり沖田の名は無い。しかし、何故か安堵の情は湧いてこない。
 ふと、沖田から託された玩具のことが頭をよぎった。大切にしてくれそうな子供に渡すようにと頼まれたものであったが、何とは無しに手放し難く、未だ押し入れに仕舞ったきりになっている。
 沖田のことだ、死地に赴くに際しての形見分けというつもりでもあるまい。ただ、玩具を捨てるに忍びなかっただけだ。自分に代わる誰かに、愛され続けてほしかったのだ。
 押し入れを開け、玩具の入った風呂敷包みを引っ張り出してきた。
 包みをほどくと、沖田が愛した、可愛らしい玩具達が顔を出した。見覚えのあるもの、無いもの。思い出すのは、かつて無邪気に彼らと遊んでいた沖田の姿。
 積み重なった玩具の中、覚えのある千代紙が目にとまった。淡い桜色のぼかしに、白い小さな桜模様が散らしてある。
 以前弟が足に怪我を負った時に、沖田が見舞いに来てくれたことがあった。その時沖田がくれた折り鶴が、こんな色柄ではなかったか。
 鶴はもう手許に無い。多分、いつの間にか母が捨てたのだろう。鶴の行方を自分は母に質さなかった。母もそれを忘れるどころか、はなから意識の端にも入れていないだろう。
 明日にも、子供達に玩具を渡しに行こう。そう決心がついた。
 このまま自分の手許にあれば、この玩具は、ある日母に見つかり捨てられるか、共に遊ぶ相手も無く、押し入れの奥で静かに古びてゆくのをただじっと待っているだけだ。そんな結果を、沖田は望まない。
 沖田が鶴を折ってくれた千代紙を、一枚引き抜いた。この一枚だけは、自分の手許に残しておく。子供の使いの駄賃としてなら、そう高いものでもあるまい。
 沖田を真似て、鶴を折ってみた。鶴を折る時には、何か祈りを込めるという。沖田は、弟の快癒を祈ってくれた。ならば自分は、一体何を祈ればよいのだろう。
 伏見の戦で沖田は死ななかった。しかしそれは、何も沖田が剣術に秀でていたからではあるまい。もはや剣が物を言う時代ではない。恐らく、沖田は戦に出なかった――否、出られなかったのだ。
 「小さなった」。沖田に再会した時、自分は沖田を見てそう感じ、そしてそのままを口にした。だが、蓋しそれは精確を欠いている。沖田は、細くなって、、、、、いたのだ。
 時代にも時間にも置いていかれたような沖田を、自分は直に過去にするのだろう。その後この鶴は、沖田を思い出すよすがとなってくれるのだろうか。
 母の足音が聞こえてきた。書見の進み具合を確かめに来たのだろう。慌てて本を開き、折りかけの鶴を頁の間に挟んで隠した。風呂敷包みは既に押し入れの中だ。
 次の桜の季節に、沖田はいる、、のだろうか。やって来た母の前で書見に打ち込む態をつくりながら、そんなことを考えた。


<おまけ2>
「なあ。なんか、荷物の中から変な音しねえか?」
「いや別に。お前の聞き違いだろ?」
「そうかぁ? あ、ほら、また」
 ――ブキッ。
   ――慶応三年十二月十四日、新撰組平隊士の会話




 『PEACE MAKER 鐵』再開記念やり逃げSP第1弾です。
 同作再開以前に書いて投稿したものなのですが、当時は「このタイミングの沖田さんがこんな状態なわけがねぇ」と思いながら公開していました。
 なんだかおまけの方が出来がいい気がしますが、まあいいや。ちなみに、このおまけにはさらにおまけがあったりします。八木為三郎の後日談です。そんなもん、もうピスメのピの字も残っちゃいねえ。






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