※いわゆる「女性向け」の要素を含みます。ご注意ください。
※前作「夢路の子」と同じシチュエーションです。あらかじめ、「夢路の子」(注意書きと冒頭だけでも)に目を通しておかれることをお勧めいたします。


夢路にて、君と




 窓の外の灯りが、少しずつ消えていく。
 傍らでは彼が、既に夜着に着替え、布団にもぐり込んでいた。おしゃべりを続けてはいるが、少し眠たそうにも見える。
 無理もない。彼は、本来紅灯の巷になどいるべきでない、育ちのいい子供だ。普段ならば、こんな夜更けにはとっくに夢の中なのだろう。
 それでも、夜更かしするのも、誰かと一緒に床に就くのも、彼にとっては物珍しい体験であるようで、いつも先に布団に入り、嬉々として自分を招じ入れようとする。
 どちらかというと自分が誘うべき側なのだが、そんなことは彼は知らない。知らなくていい。苦笑いではいはいと答えて、自分も彼の隣に収まった。
「もう、遅いよ」
 待ちかねたようにこちらの体を引き寄せ、ぎゅっと抱き締める。ひとしきりそうした後は、背中を抱き寄せていた手が、今度は頬を撫でる。
 こうして二人で布団に入っていると、彼はよく頬に触れてきた。頬から首筋へと辿り、手を握ったかと思うと、また頬へ。
「頬っぺた、触るの好きだね」
「好き。ここなら、君に触れられるから」
 そう言って、飽きもせず頬を撫でている。
「そっか。私も、あなたに撫でられるの、気持ちいいから好き。
 ねえ、あのお父さんも、撫でてくれたりするの?」
 彼はその問いに答えなかった。まるで、話柄を逸らそうとするこちらの欺瞞を、見透かしたかのように。
「……君に、触れてたい」
 その言葉が何を意味するか、漠然とながら予覚はあった。それでも、腰に回した手に力を込め、体を強く触れ合わせて言った。
「いつだって触れてるよ。これじゃ、だめ?」
「君に触れたい。君の服じゃなくて、君自身に」
 予期した通りの答えだった。とっさに返せずにいると、彼はその手を、手底から指の腹までぴたりと密着させ、こちらの形を確かめるようにゆっくりと這わせていった。頬、鼻、額、顎……。小鼻のきわや耳介の窪みには指先を使い、隙間を埋めるように丁重になぞっていく。
「触れたい。触れてないところ、全部なくしてしまいたい。
 しちゃいけないからしないけど、本当は目にだって触りたい」
 彼の指が瞼の縁を辿る感触が、薄い皮膚越しに伝わってくる。
「触れたいなら触れていいよ。あなたにだったらいい。潰れたって構わない」
 今までずっと、触れられることはすなわち暴力だった。だが、彼だけはそうではなかった。彼を信じている――否、彼からされることならば、たとえ暴力であってさえ受け止めたい。
「目だけじゃない。体全部、あなたのしたいようにしていい」
「そんなの……!」
 言いさしたのを置いて、褥を抜け出した。どうかしたのかと身を起こした彼の前で、帯を解き、夜着を落とし、一糸まとわぬ姿となった。彼は、信じられないものを見るように目をみはっていた。
 その前に座り、上体を差し出した。だが、彼の手は動かない。
「どうしたの? これで、どこでもさわれるよ」
「ごめん……。あんなこと言ったくせにって思うけど……こわい……」
「怖い?」
「うん。なんだか、きれい過ぎてもったいない。汚しそうっていうか、壊しそうっていうか……」
 沈黙が下りたところで、彼の手を取った。その手のひらに顔を寄せ、幾度か頬をすり寄せた。
「ほら。何も変わらないよ?」
「そうだね……理屈じゃそうなんだけどね。
 それに……えっと、何ていうのか……こんなことして、いいのかな? って……」
「駄目だと思うの? どうして?」
「だって……」
「もしかして、はしたないって思った?」
 聞いた途端、彼は猛烈な勢いでかぶりを振った。
「違うよ、そうじゃない。
 そりゃあ、いきなり服脱ぐとかなかなかしないけど、でもそれは、僕があんなこと言ったからで、君は僕のしたいことを叶えようとしてくれたんだから。
 そうじゃなくて……自分が、やっちゃいけないことをしている気がする」
 おそらく、それは禁忌に対する恐れだ。体の交わりやそれに繋がる行為を禁忌とする意識を、幼いながらに心の中に育てているのだろう。
 一度離していた手を、再び頬に触れさせた。そして、いつも彼が触れる道筋を辿って、手のひらを導いていく。頬から首筋へ、そしてその下――日頃は夜着の下に隠されている胸元へ。
 彼の手に自分の両手を重ね、抱き締める。
「大丈夫。私はあなたに触れられたい。だから、これは悪いことじゃない」
 見つめた彼の目には、やはりまだためらいの色があった。
「あなたは、嫌? 嫌だったら、すぐにやめる」
「嫌じゃない。嫌じゃないけど……その……」
「けど?」
「やっぱり、ドキドキする。
 怖いっていうのもあるけど、それ以上に……初めてだから、こんなこと」
「だから、さわれない?」
 うなずくようにうつむけられたその顔は、確かに真っ赤になっていた。
「……えいっ!」
「わっ!? な、なに……?」
 少しはだけた彼の襟元を狙って、肌を合わせて抱きついた。そのまま、もつれるように布団へと倒れ込む。夜着をつまんで軽く引っ張ると、彼にもこちらの意図が伝わったようだ。
「ちょ、ちょっと待って……! 今……」
「やだ待てない。私だって、あなたに触れたい」
「そりゃ僕もそうだけど……あうぅ」
 もどかしそうに帯を解き、服を取り払ってこちらを抱き寄せてくれた。彼のぬくもりと肌の感触に包まれ、ほんわりと幸福感に満たされる。
 彼も、少しでも同じ気持ちでいてくれるのだろうか。そう思っていると……。
「……ごめん。すごく気持ちいい、これ」
「ふふ……よかった」
 隔てるものの何一つなくなった体を、互いにむしゃぶりつくようにかき抱き、全身で肌を合わせた。
 ぴたりと密に触れ合った胸に、心臓の拍動が伝わってくる。
「すごい……これだけくっつくと、あなたの鼓動まで分かるんだ……。
 とくんとくん言ってる。ふふっ、こっちのより速い」
「こっちも気づいたことあるよ。
 あのね。君の匂い、いっぱいしてる……」
「私も。あなたの匂いがして……なんだか安心する。
 それに、あったかい……」
「君はちょっとだけ冷たい。足の先とか」
「そうなの? ごめんなさい」
「謝ることじゃないよ。それに」
 彼の足が、こちらの足先をぎゅっと挟んだ。
「もっとくっつく口実になるし」
「別に口実なんていらないのに……」
「逆だけど、昔、よく父さんの脚に、こんな風に足先突っ込んでた。……四、五歳くらいの話だよ?」
 そんな言葉を交わしながら、やがて二人とも眠りへといざなわれていく。会話が途絶えがちになった頃、彼がぽつりと言った。
「どうして、好きだと触れたくなるの?」
 不思議な質問だった。そう感じたのは、前提が容易に呑み込めなかったからだ。
 今まで自分に触れてきた者はたくさんいる。その中に、自分に対して「好き」という感情を持っていそうな者など、彼以外誰一人としていなかった。
「好きだから触れたいの? なら、お父さんにも触れたい?」
「うーん、小さい頃、父さんに抱っこされるのは大好きだったけど、今はそこまでじゃないし……少なくとも、欲しくて欲しくてたまらない、っていう感じじゃない」
「…………」
「初めは、すべすべでやわらかくて、触り心地がいいからだと思ってたんだ。
 でも違う。たとえ岩みたいだったとしても、きっと触りたいと思ってた」
 そこまで話すと、ずっと黙りこくっていたこちらに水を向けてきた。
「君は、どうだった? 同じような気持ちになった?」
「私は……」
 確かに自分にも、似たような感情はあった。触れられたいと感じ、更にはこちらから触れたいとさえ望んだ。
 だが、それはむしろ、かつて彼が父との触れ合いを喜んだ気持ちに近いのではないか? 彼の心にあったのは、そうではなく……。
「……どうしたの?」
 長いこと答えられずにいたものだから、彼が不安げに尋ねてきた。
「あ……ごめんなさい。
 えっと、触れたいっていうのは、私にもあった。でも、その理由っていうと……どうなんだろうね?」
「そっか……分からないか……」
 下手なはぐらかし方ではあったけれど、彼はそれ以上問うてはこなかった。
 「好き」と「触れたい」の間にあるもの。それを知るのは、彼が本当に大切な人に出会ってからでいい。
 だから、このぬくもりも幸せも、一夜の夢にしなくてはならない。醒めれば忘れる、儚い夢に――。
(でも……今はこのまま、眠らせて……。今だけは、幸せなまま……)
 傍らから健やかな寝息が聞こえてきた。それに導かれるように、こちらの意識もやがて眠りの淵へとさらわれていった。




 冒頭にも書いた通り、「夢路の子」と同じシチュエーションです。「夢路の子」の番外編と考えていただいても、別物と考えていただいても結構です。
 シチュがアブノーマル過ぎる上に、レーティング的にも大変微妙な本作。ええんかいな(でもやめない)。






戻る

inserted by FC2 system